浄土真宗は日本の仏教の中では1番信者が多い宗派です。
そしてほかの宗派とは、香典の書き方も焼香の仕方も、細かいところが異なるという特徴があります。
現在では厳密な作法を気にする人は減ってきましたが、浄土真宗の法要に参列する際は、その作法に則れるに越したことはありません。
今回は、浄土真宗の法要について解説します。
浄土真宗とは
浄土真宗の特殊性を理解するには、そもそ浄土真宗とはどのような教えなのかを知っておく必要があります。
浄土真宗の教え
浄土真宗の教えは「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」という有名な文言に象徴されています。
これは解説すると「生きている間に善い行いをした人でさえ、死んだら極楽に行ける。それくらいだから悪いことをした人はなおさら極楽に行ける」ということです。
常識的に考えると、善人が極楽に行けるのは当然だとして、悪人がそれ以上の優先順位で極楽に行けるというのはおかしな感じがします。しかしこの「おかしさ」が浄土真宗の教えの根幹です。
この文言の「悪人」とは何も盗みをしたり人をあやめたり、という人だけを指すのではありません。
たとえば仏教には殺生戒というものがあり、生きているものの命を奪ってはならないとされています。
それを忠実に実行すると、魚も肉も食べられませんし、蚊取り線香さえ焚くことができません。
つまり逆に言えば、人間は普通に生きていれば、必ず戒律を犯す、すなわち悪事を働く悪人になるということです。
しかし自分が悪人であることを自覚していて、それでも仏にすがって極楽に行けるように願っていれば、ひたすら宗教に帰依するでしょう。
ですから悪いことを一切行わないで仏にすがる必要がない善人よりも、自分が悪人であることを自覚して仏にすがっている人の方が、極楽に行けるのです。
これが浄土真宗の根本の教えです。
浄土真宗はこのように誰にでも実践できる教えなので、身分の上下にかかわらず多くの人が信仰し、結果的に信者数が日本で1番多くなったのです。
浄土真宗の歴史
浄土真宗はいつ誰によって創始され、日本での最大宗派まで発展してきたのでしょうか。
浄土真宗は平安時代の後期に、浄土宗の法然(ほうねん)に師事した親鸞(しんらん)が創始した仏教です。
親鴛は9歳の時に比叡山で天台宗を学び始めました。
その後29歳で天台宗を離れ、法然の弟子になり浄土宗の信徒になりました。
しかし浄土宗は時の政権からにらまれ、親鸞は越後に流罪になります。
その後5年で流罪は解かれましたが、親鸞は京都には戻らず、現在の茨城県へ行って、人々に念仏の教えを説きました。
この頃が浄土真宗の創始時期だと考えられています。
親鷲の亡くなった後、室町時代に親鸞から数えて8代目の蓮如(れんにょ)が親鴛の教えをさらに簡単にして、また全国の信者を組織化したたため、浄土真宗の信者は爆発的に増えました。
これが浄土真宗の主な歴史です。
浄土真宗の主な宗派
浄土真宗の中にはさらにいくつかの分派があります。それらを真宗十派と言います。
キリスト教であれば、カトリックとプロテスタントのようなものです。
浄土真宗の分派ができ始めたのは戦国時代です。
このころ多くの信者と強大な武力を持っていた浄土真宗は石山本願寺に立て籠もり、時の権力者の織田信長と激しく争いました。
その時に、信長に恭順するかどうかの方針で内部闘争が起き、分裂しました。
この内部分裂は、施政者にとっては好都合だったので、江戸幕府を開いた徳川家康はうまく利用して、分裂した片方に当時の本山だった西本願寺とは別に東本願寺を立てさせ、分裂を促進させました。
その結果、現在浄土真宗の中の最大分派である、東本願寺派と西本願寺派に分かれたのです。
浄土真宗の法事の特徴
浄土真宗の概要が分かったところで、法事や法要ではどのようなマナーや決まりごとはあるのか、ということを解説しましょう。
浄土真宗の法要の位置づけ
まず浄土真宗の法要はどのような位置づけなのでしょうか。
仏教では初七日や四十九日法要を行いますが、これは浄土真宗でも同様です。
しかしほかの仏教では人は亡くなってから49日間は成仏しないでこの世に残り、49日後にようやく成仏して極楽に行くとされていますが、浄土真宗では亡くなったらすぐに阿弥陀如来が迎えに来て、故人は成仏できるとされています。
この考え方が基本になって、浄土真宗では細かいいろいろな部分でほかの宗派とは異なる点が出てきます。
そもそも初七日から四十九日法要、そして一周忌、三回忌などの法要は、ほかの宗派では故人が無事に成仏し、極楽へ行けるようにする目的で行う、故人のための法要です。
しかし浄土真宗では故人は阿弥陀如来の慈悲で何も遺族がしなくても成仏して、極楽で幸せに暮らします。
したがって法要は、故人のためではなく、遺族が人生の真実に目覚めるために浄土真宗の教えを僧侶から聞く場だとされています。
浄土真宗の回忌法要・年忌法要の種類
浄土真宗で行う主な法要は以下の通りです。
・祥月命日・月命日
まず毎年来るのが「祥月命日」です。これは故人の命日の同じ月、同じ日です。これに対して、日にちだけ同じで月が違う日のことを月命日と言います。
・回忌法要
亡くなって49日目に四十九日法要、100日目に百箇日法要を行います。
・年忌法要
亡くなって満1年目の祥月命日が一周忌です。
2年目の祥月命日が三回忌です。三回忌は満ではなく数えでカウントするので注意しましょう。
満6年目が七回忌です。その後12年目に十三回忌、16年目に十七回忌、22年目に二十三回忌、26年目に二十七回忌、32年目に三十三回忌を行います。
このうち知人や親族を呼んで盛大に行う法要が、四十九日法要と一周忌です。それ以外は家族だけで行うことがほとんどです。
弔い上げなどの時期
三十三回忌以降法要は行わないので、それを弔い上げと言います。
三十三回忌をもって、故人の霊は個人として人格を失い、ほかの祖先の霊と一緒になって子孫を守る祖霊になります。
浄土真宗の法事のマナー
では浄土真宗の法事にはどのようなマナーがあるのでしょうか。
お経は何をよむ
浄土真宗では、親鸞の師匠の法然が数多くの経典から選んだ「無量寿経(むりょうじゅきょう)」「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」「阿弥陀経(あみだきょう)」を3大教義としています。
しかし実際に法事で読まれるお経は、親鸞が書いた「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」という聖典の中の「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」と、「無量寿経」の中にある「讃仏偈(さんぶつげ) 」 「重誓偈(じゅうせいげ)」です。
これらの経文は法事の際に参列者が僧侶と一緒に唱えることはほぼありません。唱える場合は経典が配られるので、それを唱えれば大丈夫です。
これらの経文の代わりに、焼香時などに唱える文言は念仏と言って「南無阿弥陀仏」です。
これは故人を浄土に連れて行ってくれる阿弥陀如来にひたすら頼るという意味です。
浄土真宗では日ごろからこの念仏を唱えているだけで極楽へ行けるとされています。
のし袋のマナー
香典を供える際には、お金は裸ではなくの袋に入れます。
のし袋はコンビニなどで売っているもの大丈夫です。
色は基本は白黒の水引のものですが、地域により黄白などの場合もあります。
ただし表書きには要注意です。
ほかの宗派の場合は、四十九日法要で故人は成仏するので、四十九日法要前は「御霊前」、四十九日法要以降は「御仏前」としますが、浄土真宗の場合は亡くなってすぐに成仏するので、いつの法要でも「御仏前」です。
お供えのマナー
浄土真宗の場合のお供えの仕方にもマナーがあります。
まずほかの宗派の場合は、五供といって、花、線香、御飯、水、ロウソクを供えますが、浄土真宗の場合はこのうちの水は供えません。
なぜなら浄土真宗の場合は故人は亡くなった瞬間に極楽へ行き、そこには「八功徳水」という大変においしい水がふんだんにあるため、故人の喉は乾かないとされているからです。
もしも浄土真宗で水を供えたい場合は、湯のみではなく「華瓶」(けびょう)というものを使い、ここに水を入れしきみなどを挿します。
しきみを入れることで、水は香水に変わり、喉を潤す水ではなく、故人に香りを供えるものになります。
故人の霊魂にとって、何よりのごちそうは香りです。
そのために線香を供えますし、御飯も炊き立てのものにしてその香りを捧げます。水も同様に香りを捧げるものとして供えるのです。
数珠のマナー
浄土真宗でも焼香時やお参り時には数珠を用います。
数珠の種類は一般的なもので大丈夫ですが、持ち方にマナーがあります。
浄土真宗ではまず数珠を二重にして左手にかけて、輪の中に右手をいれ、数珠の房が上に来るように持ちます。
線香の種類と焼香の仕方
焼香の作法は分派によって少しづつ違いますが、共通しているのは他の宗派のように、香をつまんでから頭や額のあたりにおしいただく動作を入れないことです。
浄土真宗では、左手で数珠を持ち、右手で香をつまんでそのまま香炉にくべます。
西本願寺派である真宗本願寺派ではこれを1回、東本願寺派である真宗大谷派ではこれを2回行います。
また線香は、3本を手に取り、それを2つまたは3つに折って、そこに火をつけ、線香台に立てるのではなく、横に寝かせて供えます。
これはほかの宗派とは大いに異なる点なので注意しましょう。
まとめ
浄土真宗はほかの宗派とはいろいろな点で違いがあり、それが法事や法要に表れて来ます。
その宗派があまり信者のいない独特のものであれば、それほど気にする必要はありませんが、浄土真宗は日本最大の仏教宗派なので、おおざっぱな言い方をすれば、仏教の法要に出た場合、浄土真宗かそれ以外かということになります。
浄土真宗の法要のマナーは知っておいて損はありません。
大切なのは故人を供養する気持ちですが、喪家の宗派に合わせられるとスマートですね。