日本人のうち99%は仏教徒だと言われています。
そのうちの多くの家庭ではお盆とお彼岸には特に意識もなくお墓参りをしているのではないでしょうか。
しかし改めて、お盆とお彼岸の違いは何と聞かれたら、ピンとこない方も多いのではないでしょうか。
今回は、お彼岸とお盆の違いについて解説します。
お盆とお彼岸の違い
お彼岸とお盆の違いは、簡単に言うと以下のように説明できます。
- お盆・・・故人やご先祖様の例がこの世に帰ってくる期間
- お彼岸・・・彼岸(極楽浄土)に思いを馳せ、仏門の修行をする期間
それでは、以下に詳しく説明していきます。
お盆とは
お盆にはどういった意味合いがあり、実際には何をするのでしょうか。
お盆の意味
お盆とは故人や先祖の霊があの世からこの世に帰ってくる期間を言います。
その故人や先祖の霊魂を迎えるために、お盆にはいろいろな法要を行います。
お盆というと8月15日を中心にしたお盆休み、つまり夏休みを考える人も多いでしょう。
もともとお盆休みは、商家などで働いている従業員が、故郷に帰ってお盆の法要に出られるようにするために、お店を休業にして従業員に一斉に休暇を与えたことが発祥です。
特に故人の四十九日法要を過ぎた初めてのお盆を「新盆」または「初盆」と言い、この時には特に盛大に法要を行います。
お盆の期間はいつ?
地域にもよりますが、お盆の期間は8月13日~8月16日(または15日)です。
お盆の法要の時期は上のような由来があるので、長らく7月15日に行われていました。
しかし明治になって太陰暦が太陽暦になったことによって、暦が1か月ずれたため、お盆も8月15日になりました。
これを7月15日の旧暦のお盆と区別するため、新暦のお盆と呼びます。
なお、関東の一部では、旧暦に合わせて7月13日~7月16日にお盆の行事をします。
お盆にすること
お彼岸に対してお盆ではどのような法要を行うのでしょうか。
お盆の流れ
お盆の流れは地域によってかなり異なります。
以下にお盆の流れの一例をあげます。
- 8月12日まで:お墓を掃除や盆棚、飾りの用意をして迎え盆の準備。
- 8月13日:迎え盆。迎え火を焚く。
- 8月14または15日:お墓参りや法要をする。
- 8月16日:送り盆。送り火を焚く。
ただし、迎え盆にお墓参りに行く地域や、送り盆にお墓参りに行く地域もあります。
また、ご先祖さまはお墓ではなく自宅の仏壇を通じてこの世に帰ってくると考える地域もあり、この場合はお墓参りをせずに自宅で過ごします。
上に挙げた流れはあくまでも一般的な流れなので、自分の家でやっていた方法でお盆を過ごすのが良いでしょう。
お盆のお供えは
お盆に必要なお供えはお彼岸と同じように、花、ロウソク、線香、水とご飯などを供える五供が基本です。
また自宅の仏壇や、自宅の玄関になすやキュウリで作った馬を飾る風習もあります。これを「精霊馬」と言います。
精霊馬は故人の霊魂があの世からこの世に戻ってくる時に乗り、また帰っていく時にお土産を乗せるためのものです。ですからお盆が終わった後には、そのまま捨てずに川に流したり、あるいは火で燃やしたりします。そのようなことが難しい場合は白い紙でくるんで生ごみの日に捨てましょう。
精霊馬の作り方は、きゅうりやなすに4本の割りばしを指して、足に見えるようにするというものです。ただし地方によってはきゅうりやなすではなく、藁(わら)で精霊馬を作るところもあります。またなすやきゅうりは精霊馬のほかに、刻んで洗った米と一緒にをハスの葉やサトイモの葉に盛り付ける「水の子」として仏壇に供える場合もあります。
お盆の由来
なぜお盆に法要を行うようになったかというと、その起源は仏教の生まれたインドにあります。
そもそもお盆の言葉の由来は、インドの言語であるサンスクリット語の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」です。
「うらぼん」とは何を指すかというと「逆さ吊りの苦しみ」です。
「逆さ吊り」とは恐ろしい言葉ですが、なぜこのような言葉が故人の霊魂を迎える行事の名前になっているのでしょうか。
その理由は以下の言い伝えに見ることができます。
釈迦の弟子の目連(もくれん)という人にはあの世を見ることのできる神通力がありました。
その力を使って地獄を見てみると亡くなったばかりの目連の母親が地獄で逆さ吊りの刑になっていました。
目連は何とか母を救えないかと釈迦に助けを求めました。
すると釈迦は「7月15日に高僧を招いて供養すれば助け出すことができる」と答えたので、目連がその通りにしたところ、本当に母親が逆さ吊りの刑を許されて、極楽に往生することができたのです。
このことにあやかって、7月15日に故人の霊魂を法要し、その霊魂が極楽に往生できるように祈ったのがお盆の法要の始まりです。
お盆が日本で行われた歴史はお彼岸よりも古く、記録に残っているのは606年に推古天皇が行ったお盆の法要です。
その後は天皇、貴族、武士がお盆の法要を行っていましたが、江戸時代になってお盆に使うロウソクが大量生産され、庶民でも安価に手に入るようになったことをきっかけに庶民もお盆の法要を行うようになりました。
お彼岸とは
それでは、お彼岸はどのような行事なのでしょうか。
お彼岸の意味
お彼岸は、もともとは仏門の修行に励む期間でした。
しかし、現在では日本古来の祖先崇拝の考えと混ざり、先祖供養をするのが主な内容となっています。
「彼岸」は文字通りとれば「向こう岸」という意味になりますが、仏教用語では、煩悩を脱した悟りの境地のことを言います。
煩悩とは平たく言って「欲望」のことです。仏教では、お金が欲しい、人より勝りたい、名声を得たいなどのあらゆる欲を断ち切ることによって、彼岸、つまりは浄土に行けるとされます。
お彼岸は、春分の日、秋分の日をとその前後3日間の期間を言います。
春分の日と秋分の日は太陽が真東から真西に沈む日です。
お彼岸は、真西に沈む太陽を拝むことで、西方浄土に思いを馳せ、仏門の授業をする期間でした。
お彼岸の期間はいつ?
お彼岸は、年に2回あります。
春彼岸は、3月の春分の日とその前後3日間の計7日間、秋彼岸は、9月の秋分の日とその前後3日間の計7日間です。
春分の日と秋分の日の日付は毎年変わります。
毎年2月1日に官報にて国立天文台が、翌年の春分の日と秋分の日を発表します。
したがって、正式には2月にならないと翌年のお彼岸の期間は分からないことになります。
お彼岸にすること
お彼岸には基本的に自分の家のお墓参りをします。
その時には以下のようなことを行います。
お彼岸の流れ
まずお彼岸にお墓参りをする時には、花、ロウソク、線香、水、ぼた餅またはおはぎを持って行ってお墓に供え、合掌して故人が無事に成仏して極楽に行けるように祈ります。
これらの5つは五供と言って、お墓参りの必須アイテムです。
またそう頻繁にお墓参りもできないでしょうから、この時にはやわらかいスポンジを持参して、お墓についた汚れ、シミ、コケなど洗い流しましょう。
お彼岸のお供えは
五供の中で春のお彼岸のぼた餅、秋のお彼岸のおはぎは、ほかの日のお墓参りにはお供えしないものです。
ぼた餅とおはぎのどこが違うかというと、実は違いはありません。
同じあんこにくるんだもち米の食べ物です。
同じ食べ物を春秋に違う名前で呼ぶ理由は、ぼた餅は「牡丹餅」のことなので、春の花の牡丹に由来しています。おはぎは、秋の花である萩に由来しています。
和菓子店などでは季節によって名前を変えずに、いつでもぼた餅またがおはぎという名前に売っているかもしれませんが、全く同じものです。
お彼岸にぼた餅またはおはぎを供えるようになった理由は、江戸時代にぼた餅またはおはぎをくるむあんこの原料であるあずきの赤色に、災難や疫病を避ける効能があると信じられるようになったためです。
お彼岸の由来
お彼岸に故人の冥福を祈って成仏できるようにする、という風習は平安時代の中頃から行われていました。
なぜ平安時代の中頃にお彼岸の行事が盛んになったかというと、この時代は末法思想という、釈迦が亡くなってから1000年経つと、その教えを守る人がいなくなって世の中が乱れる「末法」の時代になり、人は亡くなっても極楽に行けずに、すべて地獄に堕ちるようになる考えがこの時期に広がったからです。
平安時代の中頃がまさに「末法」の時代にあたっていたのです。
人々は地獄には堕ちたくありませんから、何とかそれを防ぐ方法はないかと必死になりました。その時に法然が始めた浄土宗や親鸞が始めた浄土真宗では「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで、亡くなったらすぐに阿弥陀如来が迎えに来て、そのまま極楽に導いてくれるという教えを唱えたので、その宗派が爆発的に流行したのです。
その阿弥陀如来が導いてくれる極楽は西の方である西方浄土にあるので、西の方角に太陽が渋む年に2回の日に、大々的に法要を上げるようになりました。
これがお彼岸の法要の初めです。つまりお彼岸は最初は亡くなった人のために行うのではなく、生きている人のために行うものでした。
この後、末法思想は下火にはなりましたが、しかし阿弥陀如来の力で成仏できるという浄土宗、浄土真宗は変わらず信者を増やしていき、同時に故人の霊魂が成仏できるように祈る日がお彼岸というように変化し、一般の庶民もお彼岸にはお墓参りをするようになったのです。
まとめ
お盆はご先祖様をこの世にお迎えする期間、お彼岸は仏門の修行に励んだり、先祖供養をする期間です。
同じお墓参りをするのでも、違いを知っていると心持が違うかもしれません。
お盆もお彼岸も故人やご先祖様に思いを馳せて、充実した期間を過ごせるといいですね。